ICC(初台)での触覚映画《Grand Bouquet / いま いちばん美しいあなたたちへ》の展示、いよいよ3月10日までです。こんな風に体験する映画もなかなかないかと思うので、ぜひ体験していただきたいです。思い返せば、2017年の暮れ頃からはじまったプロジェクトで、触覚映画をつくってみないかとお誘いを受け、そこからつくりたい欲望が暴走しすぎて、最初のほうは現実にあるお金と時間のモンスターにノックアウトされそうになりながらも、それでも今つくるべきだと賛同してくださったすばらしいスタッフの方々に恵まれて、全力で制作に挑むことができました。
触覚映画という果たしてどんなものが完成するのかよくわからないけれどやるしかない戦いのさなか、偶然発見したのが、「風音域」です。グループ展だったので、ひとつの作品が突出した大音量で上映するわけにもいかず、スピーカーを鑑賞者にぐんと近づけることで音量を確保しました。すると、スピーカーが鑑賞者の顔にとっても近いため、ある特定の音域が流れたときに、スピーカーから風が吹くことが判明したのです。すぐさま音響の北田雅也さんが、風音域を特定し、ここぞというシーンで吹かせてくれました。
触覚ベストが震えるのはもちろんのこと、もうひとつ、風(音の波)という触感も手に入れることができました。
よく思い返せば、色も、光も、音も、波です。映画を視聴する部屋全体を、あらゆる波が駆け抜けて、鑑賞者にぶわーっと、さわさわさわっと触りに行く、だからこそ「触覚映画」なのではないかと思っています。
映画の内容自体は、今回すべてを公開することが許されなかったので、共有し難いところですが、それこそ、抗い難い運命や、交渉の余地すらない圧力、権力、資本、数、未知の肉体、未知の自然、一寸先はなにが起こるかしれないこのオープンエンドに開かれている世界に対して、ひとりの女性が、まずはひとこと、言葉を花に変えて物申し、すべてを飲み込み、ただ受け入れるのとは違った行動を取るところから、この物語ははじまります。
波には身をまかせるべきだし、極力、怒らないで、抗わないで、生きるというのもひとつの処世術ではありますが、おかしいだろと思うことに、意思を表明し行動を起こすこと、エネルギー使うし、疲弊するだけだし、なにも変わらないかもしれないけど、やっていいんです!!(消耗して、早死にするタイプかもしれないけれど)それだけはすごく思います。
映画自体は、それこそ、そうした憤懣やらなにもかも出し切らせるある意味デトックス・ムービーでかつハッピーエンドでございますので、ぜひ一緒に散ってください。
そうした内容の作品であっても、実際には押さえつけられてしまう表現になってしまうのが現実の世ですが、だからこそ、そうした事実もふまえて観ると、ちょっと面白いかもしれません。事実は事実として踏みしめ埋めて養分にして、新しい星で大地のステップが踏み鳴らされるラストの触感を、全身で味わっていただけるかと思います!!!写真は、設営途中の写真より。
よく思い返せば、色も、光も、音も、波です。映画を視聴する部屋全体を、あらゆる波が駆け抜けて、鑑賞者にぶわーっと、さわさわさわっと触りに行く、だからこそ「触覚映画」なのではないかと思っています。
映画の内容自体は、今回すべてを公開することが許されなかったので、共有し難いところですが、それこそ、抗い難い運命や、交渉の余地すらない圧力、権力、資本、数、未知の肉体、未知の自然、一寸先はなにが起こるかしれないこのオープンエンドに開かれている世界に対して、ひとりの女性が、まずはひとこと、言葉を花に変えて物申し、すべてを飲み込み、ただ受け入れるのとは違った行動を取るところから、この物語ははじまります。
波には身をまかせるべきだし、極力、怒らないで、抗わないで、生きるというのもひとつの処世術ではありますが、おかしいだろと思うことに、意思を表明し行動を起こすこと、エネルギー使うし、疲弊するだけだし、なにも変わらないかもしれないけど、やっていいんです!!(消耗して、早死にするタイプかもしれないけれど)それだけはすごく思います。
映画自体は、それこそ、そうした憤懣やらなにもかも出し切らせるある意味デトックス・ムービーでかつハッピーエンドでございますので、ぜひ一緒に散ってください。
そうした内容の作品であっても、実際には押さえつけられてしまう表現になってしまうのが現実の世ですが、だからこそ、そうした事実もふまえて観ると、ちょっと面白いかもしれません。事実は事実として踏みしめ埋めて養分にして、新しい星で大地のステップが踏み鳴らされるラストの触感を、全身で味わっていただけるかと思います!!!写真は、設営途中の写真より。